城北法律事務所 ニュース No.66(2012.8.1)

民主主義とファシズムと ~カリスマ首長の乱暴な市政運営に歯止めを

弁護士 平松真二郎

橋下徹大阪市長は、毎日放送の取材に対し、「公務員は国家のために仕事をしているのだから国歌を歌うのはあたり前じゃないですか……国歌は公務員の社歌なんだから、国歌を歌えない方は公務員をやめればいい」と発言したと伝えられています。

この発言は正しいのでしょうか。

まず、憲法15条2項が、公務員は「全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定しており、公務員は「国家の奉仕者」ではなく、まして権力者に対する「一部の奉仕者」ではないことが規定されています。国公法及び地公法においても、公務員は「日本国家のために働く」存在ではなく、国民に対し「能率的な公務」を提供する存在とされています。そもそも「公務員は国家のために仕事をする」という考え方自体公務員のあり方の理解として間違っています。

次に「国歌を歌うのは当たり前じゃないですか」という問いかけ自体、国家と国民の関係を履き違えたおよそ立憲主義に対する理解を欠いた発言です。立憲主義のもとでは、国家(権力)は、国民が定めた憲法の縛りの中でしか活動できません。憲法13条は、国民一人ひとりを尊重することを国家に対し求めています。国民には、自由な意思に基づいて国歌を歌うか否かを決めることができるのが当たり前なのです。決して、国歌を歌うことが当たり前などではないのです。
そして「国歌は公務員の社歌なんだから、国歌を歌えない方は公務員を辞めればいい」に至っては弁護士としての資質を疑わせるに充分です。

たとえば、民間企業においても社歌を歌わないことだけを理由として労働者を解雇することは許されません。労働契約法や就業規則で許容される解雇理由として成り立ちえない不当解雇となるからです。公務員についても、最高裁判例では、国歌の起立斉唱をしなかったことだけを理由とする懲戒免職処分は許されていません。これまでの労働法あるいは公務員法のもとでは、国歌を歌わなくとも労働者としての地位を奪われることはありえないのです。

橋下氏の発言は、威勢の良い言説ですが、日本の憲法・法律・条例など諸法令の解釈としてはおよそ成り立ちえない詭弁を弄しているにすぎません。

橋下氏は、今後も、自身の詭弁がもてはやされる風潮を利用し、教職員や職員組合、その他の公共団体、私的団体(既存政党)等を仮想敵として非難し、自らの翼賛勢力を広げていく手法を棄てないでしょう。

この手法は、A・ヒトラーとナチス党が権力を掌握していった過程と相似形を描いています。ナチズムはドイツの一都市であるミュンヘンからはじまりました。いま、大阪からハシズムがはじまっています。どちらも民主主義の敵であることに変わりはありません。このままでは、地方自治が「民主主義の学校」ではなく「ファシズムの学校」になってしまうことを危惧しています。

なお、私は平松邦夫前大阪市長と血縁関係はありません(念のため)。


どうなる!? 「子ども・子育て新システム」

弁護士 嶋田彰浩

現在、保育園の待機児は、全国で25000人にのぼります(厚労省統計)。これを解消するために考えられたのが、今国会で審議されている「子ども・子育て新システム」です。

新システムの中心は、元々、幼稚園と保育園を統合して(幼保一体化)幼稚園の空き定員を利用できるようにすることでした。しかし、半日だけの教育機関である幼稚園と、子どもの生活の場として発達・成長を支える保育園の目的・役割はまったく違います。統合するには現場レベルを含めた充分な議論が必要で、厚労省の審議会でも批判が噴出していました。結局、新設される「認定子ども園」などとは別に、現行の保育園と幼稚園は存続することになりそうです。

民自公3党が修正して衆議院を通過した「子ども・子育て新システム」関連法案では、児童福祉法24条の市町村の「保育実施義務」について、父母や保育関係者の強い反対を受けて規定自体は残りました。しかし市町村が責任をもつのは認可保育所のみと実施責任の範囲は限定され、それ以外の認定こども園や小規模保育、保育ママ等の多様な事業を計画にもとづいて確保すればよいとされています。

新システムになれば、介護保険のように市区町村が保育の必要性(要保育度)を認定し、認定証を発行することになり、保護者は認定証を持って、各施設を自分でまわって契約先を見つけなければなりません(直接契約・自己責任)。しかも、一日に子どもを何時間預けられるかは要保育度に応じて決まるため、介護保険と同様、一方的に認定が切り下げられる心配があります。また、延長保育などを希望すれば超過料金は自己負担ということになりかねません。

しかも、4つの類型のある認定こども園のうち幼保連携型以外のこども園は、株式会社も参入できることになります。株式会社にとっては利益を出すことが重要ですので、親から保育料をきちんと徴収できるようにするために「施設が親を選別」することになりかねません。しかも、交付金の使途は限定されていませんので、従業員の待遇や施設の改善より株主への配当を優先してもよいのです。

一方、認定子ども園は待機児の八割以上を占める0~2歳児の受入れを義務付けられていません。これで待機児の解消になるのでしょうか。

また、保育ママや小規模保育などの「地域型保育事業」は、面積基準は地方任せとされているなど基準が緩くなる恐れがあります。そのため、基準が緩く安上がりな「地域型保育事業」などが待機児童の「受け皿」にされ、ビルの一室で保育所や保育ママを利用することになりかねません。

はたして、このような新システムで、本当に子どもの権利・利益が守れるのでしょうか。そもそも、新システム法案のどこにも、子どもの権利条約にある「子どもの最善の利益」は、書いてありません。政府に欠けているのは、まさにその視点ではないでしょうか。