城北法律事務所 ニュース No.58(2008.8.1)

目次

<新しい所員を紹介します>

弱い立場にいる方々の役に立つ弁護士に

弁護士 岡村香里

はじめまして。今年1月から城北法律事務所にて弁護士生活をスタートした、岡村香里と申します。

出身は東京都世田谷区で、学生時代、司法修習生時代を含めてずっと東京で生活して来ました。

私が弁護士を志したのは、中学・高校の頃でした。中学生の頃から社会的に弱い立場にいる方々の役に立つ仕事がしたいと思っていました。現代社会が好きだったことから法律の勉強もおもしろそうだなと思い、弁護士になりたいと思うようになりました。

司法試験の勉強をしている頃、ご縁があって薬害肝炎訴訟を傍聴する機会がありました。被害者の話を聞いたり、弁護団の先生たちと話をしたりすることで、何ら落ち度がないのに突然被害を受けることの理不尽さを感じ、その救済に役立つ人になりたいと思うとともに、弁護士は具体的に何をしているのか、何ができるのかを知ることができました(今にして思えば、弁護士の姿のほんの一部でしかありませんが…)。薬害肝炎訴訟には、その後、私が弁護士になるまでずっと支援者として関わり、弁護士となった今では弁護団に加わりました。

城北法律事務所に入ったのは、薬害肝炎訴訟などの社会問題にとりくむ弁護団に、こころよく送り出してくれる事務所であるということが最大の理由です。

弁護士になってようやく半年がたったところですが、さまざまな事件に関わらせていただくことができました。弁護士になるまでは大きな社会問題にばかり目がいっていましたが、どの事件も、依頼者にとって重大な問題であり、弁護士を必要としてくださっていることがわかりました。

現在、どの事件もひとつひとつ大事に取り組ませていただくように心がけています。

まだまだ未熟者ですが、少しでも皆さまのお役に立てるようにがんばりますので、よろしくお願いいたします。


サイパンへ行ってきました

弁護士 上野 格

今年の4月、私たち夫婦の結婚10周年を記念しつつ、私の両親を招待して、総勢7人でサイパン島に行ってきました。

サイパン島の海は、本当にすばらしい海でした。波の静かな珊瑚礁にいると、宙に浮かんでいるように錯覚するほどです。子ども達は、あきることなく海で遊び続け、日焼け止めを塗りたくったのに真っ黒に日焼けしました。父は得意の泳ぎを見せつけ、「海ぼうずだ!」と子ども達に呼ばれていました。こうして私たちは滞在中ほとんど海につかっていましたが、少しだけ島内を回る時間ができました。

日本の統治時にはサイパン島に3万人の日本人が移住し、現在のガラパンにある華やかなホテル街の辺りは日本人街でした。今では当時の名残はほとんどありません。米軍上陸後1万5千人の民間人が、戦渦に巻き込まれて命を落とし、あるいは島の北端で自決・投身に追い込まれました。日本軍が投降を許さなかったため民間人が死に追いやられたのは、沖縄の集団自決問題と同じ構図です。「軍隊は市民を守らなかった」のです。

サイパン島を含む北マリアナ諸島は、16世紀にスペインが領有してから、ドイツ、日本、アメリカと支配が移り変わり、今はアメリカの自治属領(米国自治連邦区)です。

サイパンは、本当に美しい島でした。そして哀しい過去がある故に、美しさが胸に迫る島でした。


ニューヨークで学んできます

弁護士 田場暁生

この夏から、NYに2年ほど勉強しに行きます。典型的な「留学」という形ではないのですが、大学なども利用しながら、私の関心分野である表現の自由(この間、上映中止が問題となった、映画「靖国」の監督等の代理人もしています)について学びつつ、より幅広く、世界の「覇者」であるアメリカの現状、訴訟社会の現実はどういうものか、などについても体現して、帰国後の業務に活かしたいと思っています。皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。