城北法律事務所 ニュースNo.89 2024新年号(2024.1.1)


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関東大震災100年と朝鮮人・中国人・日本人の虐殺
~加害の歴史に向き合うことこそ、殺戮・戦争を防ぐ途~

弁護士 大山 勇一

1923年9月1日に発生した神奈川県相模湾沖震源の地震とそれに伴う火災により、死者・行方不明者約10万5000人以上の大災害が発生しました(関東大震災)。この火災により、今の港・文京・台東・中央・墨田・江東区などはほとんど焼き尽くされ、鎮火したのは2日後の9月3日でした。東京市内の約6割の家屋が被害を受け、河川などには多くの遺体が山のように積み上げられていたと言います。墨田区の本所被服廠跡(現横網公園)では、逃げてきた3万8000人が火災旋風にまきこまれて死亡しました。

この震災の混乱の中で、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「社会主義者が騒乱をくわだてている」等との流言が発生しました。警察なども意図的にデマを流し、不安におびえた人々は自警団を組織して竹槍や日本刀で武装しました。

関東では戒厳令がしかれ、その中で、約6000人の朝鮮人、約600人の中国人が自警団などに虐殺されました。また、亀戸では、労働組合員ら10人が亀戸警察署に連行され虐殺されました(亀戸事件)。さらに、無政府主義者として著名な大杉栄と伊藤野枝、その甥が憲兵隊の甘粕大尉らによって連行され、虐殺され井戸に遺棄されました(甘粕事件)。加えて方言を話す地方出身の日本人が朝鮮人と疑われ、自警団に虐殺されるという事件が各地で起きました(映画「福田村事件」はその1つが題材となっています)。それまで抑圧していた相手が大災害を契機として鬱積した憤りをぶつけてくるおそれがあると考えたことがこのような事件を引き起こした理由であると考えられます。

こうした殺傷事件のいくつかは裁判となり、国会図書館などに公式記録として残されています。また、「大正大震災誌」(1925年)には殺傷、迫害の記録が記載されています。しかし、松野博一官房長官は「事実関係を把握できる記録は政府内にはない」と答弁し、事件そのものを否定するかのような発言を繰り返しています。虐殺事件に「ふた」をしようという行政や警察の動きは、早い段階からあったとされます。事件を隠し、矮小化する動きは、今の政府の言動にもつながっています。加害の歴史に目を背ける姿勢は、奪われた命への冒涜であり、今を生きる命をも軽視していることにならないでしょうか。

また、東京都の小池百合子知事は、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文送付を7年連続で断っています。就任1年目には送付しているにもかかわらずです。小池都知事は「何が明白な事実かについては歴史家がひもとくものだ」と議会で発言し、虐殺に対する答弁を避け続けています。こうした発言は、虐殺の事実を否認する極右団体を勢いづけはしないかと心配です。

いつの時代も、殺戮と戦争は差別と偏見から起こります。昨年9月1日は大事件から100年という節目の日でした。過去の歴史を振り返り、若い人たちに史実を継承していきたいと思います。

(事務所の有志で江東区亀戸の浄心寺にある亀戸事件犠牲者之碑を訪れました)