城北法律事務所 ニュースNo.92 2025夏号(2025.8.1)/創立60周年記念号 1965年~2025年
目次
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- 1 地域とともに歩む─城北法律事務所の歴史と展望─
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- 1 事件報告 生活保護費減額を違法とする最高裁判所の判決(2025年6月27日)について
- 2 事件報告 最新!!消費者問題 『お客様は神様です。』はもう死語!?
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- 1 JOHOKU LAW OFFICE 60th ANNIVERSARY 2025 弁護士紹介 ❖ ひとこと
- 2 1968年入所 弁護士 菊池 紘(きくち ひろし)
- 3 1982年入所 弁護士 小薗江 博之(おそのえ ひろゆき)
- 4 1984年入所 弁護士 阿部 哲二(あべ てつじ)
- 5 1991年入所 弁護士 工藤 裕之(くどう ひろゆき)
- 6 1995年入所 弁護士 深山 麻美子(ふかやま まみこ)
- 7 1998年入所 弁護士 大八木 葉子(おおやぎ ようこ)
- 8 2000年入所 弁護士 大山 勇一(おおやま ゆういち)
- 9 2002年入所 弁護士 松田 耕平(まつだ こうへい)
- 10 2003年入所 弁護士 田場 暁生(たば あきお)
- 11 2006年入所 弁護士 平松 真二郎(ひらまつ しんじろう)
- 12 2007年入所 弁護士 加藤 幸(かとう さち)
- 13 2011年入所 弁護士 田村 優介(たむら ゆうすけ)
- 14 2014年入所 弁護士 結城 祐(ゆうき たすく)
- 15 2015年入所 弁護士 木下 浩一(きのした こういち)
- 16 2017年入所 弁護士 久保木 太一(くぼき たいち)
- 17 2019年入所 弁護士 片木 翔一郎(かたぎ しょういちろう)
- 18 2020年入所 弁護士 和田 壮一郎(わだ そういちろう)
- 19 2024年入所 弁護士 田中 淳(たなか あつし)
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- 1 退所のお知らせ
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- 1 弁護士 寺澤 純香(てらさわ すみか)
- 2 弁護士 前田 将希(まえだ まさき)
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- 1 お知らせ
地域とともに歩む
─城北法律事務所の歴史と展望─
60周年記念トーク/小薗江 博之 弁護士/阿部 哲二 弁護士/寺澤 純香 弁護士
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地域事務所という原点
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【阿部】地域事務所のイメージは、今と昔ではずいぶん変わってきたと思います。そもそも「地域事務所」っていうのは、例えば城北だったら池袋周辺、つまり豊島区、練馬区、板橋区、北区などの事件を中心に取り組んで、地域住民の相談や問題に弁護士が直接対応できるように、という考え方で作られてきたものなんです。
【小薗江】そうですね。私が弁護士になったのは昭和57年、1982年ですが、その頃の東京の弁護士は5000人くらい。今の5分の1ほどでした。弁護士の存在自体が今よりもずっと遠いものだったと思います。特に銀座などに事務所を構える弁護士は、敷居が高く、相談料も高額で、一般の方にとってはなかなかアクセスしづらい存在だったと思います。
【阿部】だからこそ、地域に事務所を構えるというのは、住民にとっても弁護士にとっても大きな意味がありました。身近な場所で、気軽に相談できるようにするというのが出発点で、当初は地域の事件に重点を置いて活動していました。全国的な課題よりも、まず目の前の地域の問題に対応するべきだろうということですね。
【寺澤】それは現在の事務所の姿勢と少し違うということですか。
【阿部】そうですね。今は、地域に根差した課題に向き合いつつ、全国的な課題にも積極的に取り組んでいます。そして、その全国的な取り組みの成果を地域に還元していくことで、両方に根を張りながら活動しているという形です。情報の流通やインターネットの発達もあって、全国の弁護士とすぐにつながれるようになり、活動のフィールドもさらに広がりました。
【小薗江】ただ、その変化の過程では葛藤もありました。私たちの時代は、全国的な事件をやるとなると、事務所の方針や同僚の意見を確認しなければならないような空気がありました。阿部さんが水俣病の事件に関わろうとした時も、事務所内で「まず地域の事件にしっかり対応できるのか」というような意見も出ましたよね。
【阿部】ええ。でも最終的には「責任を持ってやるならいい」と認めてもらって。その上で、水俣病のような全国的な事件でも、東京の各地域に支援連絡会を作るなど、地域に根差した形で取り組む工夫をしていました。たとえば「水俣病豊島支援連絡会」「板橋支援連絡会」といった形で、地域の民主団体や組合と連携して運動を広げていきました。
【寺澤】それが地域事務所の特徴だったのですね。全国的な課題であっても、地域の運動と連携しながら取り組む姿勢は、現在に至るまで事務所の理念の一つとして大切に受け継がれていると感じます。
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豊島簡裁とのつながりと地域密着性
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【阿部】今はもうないですが、昔は豊島簡易裁判所があって、城北を含めた、池袋にある事務所との距離がとても近かった。物理的な距離だけでなく、心理的にも近い存在だったんです。例えば国選事件の依頼が裁判所から直接事務所に電話で来るなんてことも普通にありました。弁護士の数が少なかった時代ですから、裁判所も弁護人探しに苦労していて、よく「先生、お願いできませんか」って直接電話が来ましたね。
【小薗江】国選事件もそうですが、地域とのつながりを象徴する事件も多くありました。連続窃盗で起訴された青年を支えるため、地域の若者たちが支援の会を作って、豊島簡裁での裁判を毎回傍聴し、判決の日には裁判所の前に人が集まって、地域一丸となって見守る。そんな情景がありました。
【寺澤】それはすごい光景ですね。今ではなかなか考えにくいかもしれません。
【阿部】あの頃は、地域の民主団体や労働組合と事務所が密接に連携していて、区長選の候補者が不当な弾圧を受けた事件でも、事務所総出で対応しました。まさに「地域の弁護士」としての責任を感じながら活動していました。また、JRに移行する際の国鉄労働組合への攻撃に対しても、提訴団を組んで労働委員会で不当労働行為を争いました。弁護士全員が関わるような大きな取り組みでした。
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司法のWEB化と対面の価値
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【寺澤】最近は、司法制度も大きく変わってきていますよね。特にWEB化の進展は大きな転換だと感じています。
【阿部】そうですね。業務の面でも、以前は事務所から裁判所まで往復して、ほんの数分の期日のために1時間以上かけて動くというのが日常でした。今は弁論準備手続などがオンラインでできるようになり、その時間を別の業務に充てられるようになったのは大きいですね。ただ、その一方でやっぱり顔を合わせて話すからこそ伝わること、感じ取れる空気もあるんです。特に和解交渉など、裁判官に微妙なニュアンスを伝えたいときには、やっぱり直接会って話さないと難しいなというのは今でも感じます。私が取り組んだ薬害事件や大型の公害訴訟でも、和解の局面になってから裁判官と何度もやりとりを重ねた記憶があります。
【寺澤】まさに、直接向き合って対話を重ねる場面だったのですね。WEB化の進展に伴い、そのような機会は少なくなってきているのではないでしょうか。
【小薗江】調査官との面会も難しくなっていますよね。昔は最高裁の調査官が弁護士を呼んで「こういう形で和解できませんか」と打診するようなこともありましたが、今ではそのようなことはまずありません。
【阿部】だから、今後は「どこで顔を合わせるのか」ということを考え直す必要がありますね。すべてをWEBで済ませるわけにはいかない。だからこそ、対面が必要な場面を見極めて、そこにはしっかりと時間を割いていくようなバランス感覚が求められていると思います。一方で、若い世代の中にはWEBでのやりとりを自然と使いこなしている弁護士も多いですよね。事務所としても、そうした柔軟性を取り入れながら、場面に応じた対応ができるようにしていきたいなと思います。
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これからの城北法律事務所
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【阿部】これからも城北法律事務所は、「地域に根差す」という原点を忘れずに活動していきたいですね。なぜ池袋に拠点を置いたのか、どうして地域に寄り添う弁護士を目指したのか、そうした創立の精神を次の世代にも伝えていきたいと思っています。
【小薗江】一方で、全国的な課題にも積極的に取り組みながら、その成果を地域に還元していくという循環も大切にしたい。情報化社会の中で、地域に基盤を持つことの意味がむしろ問われてくる時代だと思います。
【寺澤】若手としても、そうした姿勢を学びながら、時代に合った弁護士像を模索していきたいですね。事務所の歴史と柔軟性の両方を受け継いでいければと思います。

