城北法律事務所 ニュース No.82(2020.8.1) 創立55周年記念号


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これまでとこれからの城北の話をしよう

対談 小薗江博之片木翔一郎

今回は、長く城北法律事務所に在籍している小薗江博之弁護士(1982年入所)と、若手の片木翔一郎弁護士(2019年入所)が城北法律事務所の55年の歩みについて語ります。

片木 城北法律事務所は1965年に「池袋合同法律事務所」として開業しました。時期としては東京オリンピックの直後ですね。当時はどういう事務所だったのでしょうか。

小薗江 私は1982年に入所したので開設当初はまだいなかったのですが、弁護士は4人だったそうです。私が入所したころは弁護士が13人在籍していました。今が25人ですので今と比べると少なく見えますが当時としては十分大きい事務所ですね。

片木 入所当時の池袋の印象はどうでしたか。

小薗江 当時はまだ北口はきれいな街とは言い難かったですが、北口が区画整理されて現在はきれいな街になりました。ところで、今、「池袋」と呼ばれている場所の多くは、かつては「池袋」という地名ではありませんでした。もともとは、池袋駅の北西側の地域が「池袋」でした。1966年の住居表示により、いま事務所がある池袋西口は、「西池袋」という地名に、東口も「東池袋」「南池袋」という地名が広がりました。その後、巣鴨プリズンがあったところに1978年にサンシャイン60ができたころから、実質的にも「池袋」と呼ばれる地域が東側に少しずつ広がっていったわけです。これに併せて池袋駅西側全体も発展し、地域の発展とともに「池袋」という地名が広がってきたわけです。このころからだんだんと今の池袋に近づいてきたわけですね。

片木 私の世代からすると池袋は若者の集まる大きな街というイメージです。ずいぶん変わったのですね。

小薗江 西口で印象深いのは、1985年にホテルメトロポリタン、1990年に東京芸術劇場ができたことですね。できたばかりのホテルメトロポリタンで事務所の20周年をお祝いする行事をしました。700人くらいご参加いただきましたね。このときには既に地域の法律事務所として定着していたといえるでしょう。

片木 700人はすごいですね。ホテルメトロポリタン以外にも、城北法律事務所とゆかりのある場所はありますか。

小薗江 東口の中池袋公園ですかね。リーマンショックのときに日比谷で年越し派遣村というのがありましたよね。それをきっかけに城北法律事務所では地域の人たちと一緒に、中池袋公園で池袋派遣村というイベントを定期的に行っています。炊き出しやなんでも相談会などをやっていますね。

片木 そのころは派遣切りが多かったですからね。

小薗江 やはり弁護士の仕事内容というのは社会情勢を反映しますよね。バブルのころは地域の地主や借主の方からの借地借家関係の事件が多かったですね。バブル崩壊直後は会社や個人の破産事件が増えました。その後は派遣法改正やリーマンショックで労働問題が増えました。最近では地域住民の方からの後見や相続関係の事件が非常に増えていますね。

片木 事務所に相談や依頼に来られるお客様はどの地域の方が多いのでしょうか。

小薗江 もともとは、豊島区・練馬区・板橋区・北区の方が中心でした。その後23区・埼玉県からのお客様が増えました。埼玉県からのお客様が増えたのは1980年代に埼京線ができたり、有楽町線が和光市まで延伸したりしたことが大きいですね。そういった新規路線の沿線人口が増えるにつれて、沿線の地域からのお客様が増えていきました。

片木 最近では、2008年に副都心線ができたのが記憶に新しいですね。こうやって見ると、池袋の発展とともに城北法律事務所も発展してきたといえるでしょうね。

小薗江 そのとおりですね。地域住民からの相談を丁寧に解決することはもとより、地域の住民運動にも携わってきました。

片木 私を含め多くの若手弁護士が参加している赤羽や大山の道路訴訟はまさに地域を守る住民運動の側面が強いですね。

小薗江 もっとも、城北法律事務所は地域にとどまらない全国規模の事件も多く扱ってきましたよ。

片木 例えば何があるでしょうか。

小薗江 労働事件はずっと一貫してかかわってきていますが、薬害や医療・公害関係の弁護団事件には特に多くかかわってきましたね。薬害エイズ事件、水俣病事件、薬害ヤコブ事件、C型肝炎事件、ハンセン病事件、東京大気汚染事件、薬害イレッサ事件、B型肝炎事件、建設アスベスト事件などは城北法律事務所の弁護士が参加しています。もちろん原発訴訟、日の丸君が代訴訟、など他の分野の弁護団事件にも多くかかわっていますよ。

片木 私もHPVの薬害事件に参加しています。弁護団事件以外には城北法律事務所のかかわったものとしては、どのような活動がありましたか。

小薗江 国際平和の運動は多くやってきましたね。海外で行われる国連や国際会議にも弁護士が参加しました。他には憲法関係の運動は多いですね。地域の憲法集会に参加したり、若手弁護士を中心に「憲法カフェ」の名前で様々な年齢の方向けの学習会を開催したりしています。
刑事事件関係では、「それでも僕はやってない」という痴漢冤罪の映画の監修などもあります。痴漢冤罪事件では、実際に無罪判決を勝ち取った事件もあります。改めて見ると本当に幅広い活動を行ってきました。

片木 その映画は私も学生時代に見ました。確かに活動を挙げればキリがなさそうですね。さて、いろいろと歴史を振り返ってきましたが、これからの池袋と城北法律事務所はどうなるでしょう。

小薗江 やはりコロナウイルスの影響が大きいですよね。この地域にも生活がままならない人がたくさんいると思われます。城北法律事務所の理念である、地域のみなさんの「かかりつけ」として、一緒にこの危機を乗り越えていきたいですね。

片木 今回のコロナウイルスの件では医療関係の方々が特にがんばってくれていますよね。私たちも「かかりつけ医」ならぬ「かかりつけ弁護士」として頑張りましょう。